【コメントを拝読していて、釈然としない思いを覚えるのが、〝自分たちの行いを美化するな〟というお言葉です。
確かに、過去を思い出しながら書いていると、事実を書いているつもりでも、無意識のうちに自分を擁護するような書き方になってしまうものです。
そのため私は、書いた文章を何度も読み直して、真実が捻じ曲げられてしまってはいないかと自省しながら、何度も何度も書き直して公開します。
自分がどれだけ自分勝手で汚れた心をもち、どれだけの恥ずべき行いをしたかを、目を背けずに正直に打ち明けているつもりでした。
自分の醜い部分をさらけ出すことは、時に自分の一部をえぐり取られているような痛みを覚えます。
わたしはそうした痛みを伴いながら、文章を書いています。
もちろん、これは私の好きでやっていることであり、嫌ならやめろと言われてしまえばそれまでなのですが、
やはり、〝美化するな〟と言われると、歯痒い思いに駆られます。
そうして私は、なぜ美化しているつもりはないのに、美化していると取られてしまうのか、よくよく考えてみました。
そこで気がついたのが、そのようにおっしゃる方達の大前提に、〝愛や恋は美しいものである〟という認識があるのだということに気がつきました。
そして、その美しいものを言い訳に不倫を正当化するなと憤っているのでしょう。
私とは、そもそもの前提が全く違ったのです。
私は今までも幾度が書いてきたのですが、
男女間においては、
己の欲求をより多く満たしてくれるものに対して抱く好意を、便宜上、愛やら恋やらと名付けているに過ぎないという認識があります。
豪田先生が私を愛していたのは、性欲や承認欲を他の誰よりも満たしていたからであり、
西条さんが私を愛していたのは、おそらく美しいものを側に置くという、所有欲を満たしていたからだと思います。
私にとっての愛や恋は、決して尊いものでも、美しいものでもありません。
愛という言葉で不倫を美化しているつもりは、毛頭ないのです。
ご理解いただけたらよいのですが、、。
また、〝豪田先生が本当に愛していたら、離婚するはずだ〟とか、
〝西条さんが本当に愛しているのなら、私を自由にさせてくれるはずだ〟
などという議論も、正直、私にとってはナンセンスです。
なぜなら、〝本当の愛〟などというものが、そもそもないのだから。
もちろん親子間や兄弟間においては別物です。
遺伝子を分けた存在であるゆえ、もっと本能的な愛があるはずですから。
殊、男女間においては、私は一度も己の利益を抜きにした、無償とでも呼べる愛に出会ったことはありません。
共感してくれる人はいるでしょうか。
寂しい女だと憐れまれるのが、関の山でしょうか。】
Source: アラサー女医の不倫ブログ
