
引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1754710215/
外に出て遊ぼうと思って、家の戸を開けた瞬間に「ピカーッ」という光が見え、「ドーン」と音がしました。「ピカドン」ですね。風圧で家は全滅しました。15分ぐらい気絶していたでしょうか。気づいた時には、母の腕に抱かれていました。目を開けると、赤い色が見えました。白い服を着ていた母にガラスが刺さって血が出ていたからでした。
近くのブドウ畑に逃げると、すでに人が集まってきていました。忘れられないのは、数千度の熱で人の肉が焼かれた臭いです。それとうめき声、叫び声。苦しかったでしょうね。
8月6日が近くなると、被爆死した6歳上の姉のことを鮮明に思い出します。姉は爆心地近くで勤労奉仕をしていました。全身やけどを負って担架で運ばれる姉の姿を見た時は、幼心に胸が締めつけられました。
姉は色白で背が高くて、本当に自慢の姉でした。友達からも「勲ちゃんはええのう。きれいなお姉ちゃんがおって」と言われていました。花で輪を作ってかぶせてくれたり、大きなハマグリを取りに行った時には「勲ちゃん、これあげる」とくれたりする優しい姉でした。今でも悔しい。
でも、母はもっとつらかったと思います。まな娘が徐々に死んでいくんだから。母は自分の着ていたものを半分に裂いて敷き、「お母ちゃん痛い。苦しい」という姉の声を聞いていました。
「あの惨状を見ても、あなたはまだ戦争を続けますか」と聞きたいですね。人間に知恵というものがあるなら、あれは人間のやることじゃない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/10cb5860b6328fb0360a42e61580e5581b1d72bb
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Source: なんJ PRIDE
張本勲「『ピカーッ』という光が見え、『ドーン』と音がしました。『ピカドン』ですね」