引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1724023837/
午前11時。同僚がルート営業を終えて事務所に戻ってくるころに新垣さんは出勤する。大小四つのクーラーボックスを愛車の「ヤクルト号」に積み、ぇっショック氷と商品を入れ込む。沖縄ヤクルト首里センターが管轄する汀良町近隣で、民家や団地を中心に1日約20件の配達に汗を流してきた。「このリヤカーを運転するには特別な技術が必要。私は免許をもっているからねえ」と冗談を交える新垣さん。配達先での「何げないユンタクが大好き」だ。
1974年、当時ヤクルトレディを務めていた知人から引き継ぐ形で仕事に就いた。「初めは1週間でやめるつもり」が、次の担当者を見つけられず「気がつけば42年もたってしまった」と振り返る。20年ほど前までは早朝配達も担当。雨の日も、風の日も配達を欠かさない仕事内容を「新聞配達に似ているね」と説明した。タクシー運転手をしていた夫とともに、5人の子どもを育ててきた。いまでは9人の孫に囲まれる。「(仕事が)大変だったということは一度もない。毎日が楽しかったよ」と懐かしんだ。
新垣さんの配達姿をよく見掛けたという城東小学校6年の比嘉莉々奈さん(11)、莉三果さん(11)姉妹は「ヨシ子さーん、と声を掛けると私たちの名前を呼びながらヤクルトをくれた」と思い出を語った。
沖縄ヤクルト宅配営業部の上地直美マネージャーは「お母さん的な存在で職員に良い影響力を与えてくれた。首里は坂が多い。まねをできる方はいない」と感心。息子で職場までの送迎を続けてきた稔さん(53)は「小学生のころ朝の配達を続け夕方になるとウトウトしていた母を覚えている。本当にお疲れさまと伝えたい」と語った。80歳を迎えた4月29日、職場仲間や元同僚約40人がお別れ会を開いた。
続きを読む
Source: なんJ PRIDE
【速報】ヤクルト最年長の人、引退発表