〈大丈夫だよ! ビックリした事もあったけれど、とにかく笑顔で過ごせるようにお互い頑張ろう ご飯、楽しみにしてるね!〉
翌日は前山が沙也加さんのマネージャーも入れて「3人でジンギスカンに行こう」と提案。沙也加さんはラーメンを推した。
だが、このデートは実現しなかった。「気分がすぐれない」とホテルの部屋に戻った沙也加さんは、窓を開け……転落死したのである。昨年12月18日のことだ。
あれから1年、前山はいまも光が失われた世界で生きている。
「沙也加さんが亡くなった翌日、剛久君の部屋に北海道警の捜査員が2名来て、『お付き合いされていたのですか』と聞いたそうです。
週刊文春によれば沙也加さんの部屋の机の上に『遺書』が残されていたそうですが、捜査員は『遺書はありませんでした』と明言。『事件性はありません』とも言ったそうです」(前山の友人)
前山はすぐに帰京。これを「逃げた」と書いたメディアもあったが、この友人によれば「週刊誌からの問い合わせに対応するため、所属事務所のワタナベエンターテインメントが呼び戻した」のだという。前山の俳優仲間が打ち明ける。
「剛久は1週間ほどホテルに缶詰にされ、その後は自宅に引きこもっていました。彼を支えるため、お母さんや妹さんが交代で上京していましたね。
彼が自殺しないよう、監視する目的もあったと思います。プロポーズ3日前に恋人を失ったのだから、その衝撃は計り知れないですよ」
沙也加さんが亡くなった3日後、12月21日夜のディナーを前山は予約していた。そこでティファニーに婚約指輪を渡し、プロポーズする予定だったのは本誌既報の通り。
ふたりはすでに婚姻届の署名・捺印(なついん)を済ませていたが、2月から始まるはずだった新婚生活は頓挫(とんざ)した。
彼女の命日の直前まで5万円のディナーショーでスポットライトを浴びる聖子をよそに、前山はいまだ次のステップに踏み出せないでいる。
沙也加さんのイニシャルが刻まれた箱に大切にしまってある、婚約指輪を持ったまま――。
「剛久は貯金を取り崩し、たまに友達の仕事を手伝ったりしながら食いつないでいます。
沙也加さんが『才能がある!』と激励してくれていた役者の仕事を続ける道を模索していましたが、いっこうに誹謗中傷がやまず、脅迫状まで届く現状に絶望しています。家族や友達、退所するまで所属事務所に届いていた『またお芝居が観たい』というファンレターだけが心の支えです」(前出・俳優仲間)https://news.yahoo.co.jp/articles/bf60c44acc52e778ebb5e46994f6381804686f60
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Source: なんJ PRIDE
前山剛久「神田沙也加をプロポーズ3日前に失って辛かった。誹謗中傷止まず復帰できない」