2011年に阪神からドラ1指名を受けた伊藤隼太だ。昨年限りで9年間まとった虎のユニフォームに別れを告げ、現在は四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツのコーチ兼任選手を務める伊藤にインタビュー。前編では、阪神時代を振り返り、「ドラフト1位」の肩書きの重圧などについて語った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4f17423db9aaf701c8d6547ab4d60381c2a87b88
ーー今季から愛媛マンダリンパイレーツに入団、コーチ兼任選手となりました。愛媛の地で5カ月近く過ごしてきて、今あらためて阪神タイガースでの9年間をどのように感じていますか?
伊藤隼太(以下、伊藤) 阪神時代には、もちろんコーチや先輩はいて、アドバイスを求めれば教えていただけるんですが、基本的には誰も助けてくれない。打席の中は孤独ですし、それに打ち勝たないといけないですから練習ではひとりの時間が大切だと思っていました。
でも、その中で自己満足にならないように突き詰めて、バッティングについて四六時中考えていることが多かったですね。ここ数年はうまくいかないことが多かったですが、悩むことも多く、出口の見えない中で答えを探していた感じでした。
ーーそういった中で「阪神ドラフト1位」というのは、自分自身で意識しなくても、周りから意識させられる材料だったと思います。
伊藤 正直に言えばしんどかったです。「これくらいやってくれて当然だろう」という空気感が伝わってきましたから。
僕が「ドラ1」というようなことを気にしない性格だったら……。昨年の阪神ドラ1の佐藤輝明くんはそこをあまり感じていないようですし、どの球種に対しても崩れずに思い切り振っている。ふてぶてしさや、評価に対するいい意味での鈍感さも持っていますよね。
僕も細かいところを気にしないようにしていたら、「もっと気楽にプレーできていたのかな」とは感じます。特に最初の2、3年はそんな感じでした。
ーー何か動きを見せれば、スポーツ紙で「隼太が○○」という見出しが踊っていました。
伊藤 そういったことを気にして一喜一憂していたんです。浮かれていた部分もあったかもしれません。特に入団1年目のキャンプでは地に足がついていなかったです。
僕は人と違ったプロ野球での生活を送れたかもしれませんが、確固たる自分を持っていなかったです。周りからもてはやされて、期待されて、結果が出なくて落されるのは辛かったですね。
佐藤輝明くんって何やねん
佐藤輝明さんやろが
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Source: なんJ PRIDE
元阪神・伊藤隼太さんお気持ち表明、阪神ドラ1の肩書きは「しんどかった」