1: 名無し 2020/11/03(火) 11:58:12.12 ID:CAP_USER9
正解は、全員大阪桐蔭高の出身だということ。2012年と18年の2度に渡って甲子園春夏連覇を達成し、まさに高校野球界の頂点に君臨するチームでもある。現在、NPBに在籍している同校出身選手は21人も。これは横浜(神奈川)や広陵(広島)などの強豪校を抑えてトップの数字だ。
とはいえ、大阪桐蔭出身選手というと、どうしても野手の名前ばかりが真っ先に浮かんでくる。冒頭に記した6人中5人が野手だし、本塁打王6回、打点王4回の中村のようなタイトルホルダーも少なくない。
これに対して投手のタイトルホルダーといえば、近年では15年に獲得した藤浪の最多奪三振しか思い当たらない。
そこで今回は、平成以降のドラフト会議で入団した大阪桐蔭出身の投手たちの成績を徹底調査してみた。本当に藤浪以外に大物はいないのだろうか? まずはすでに引退した選手たちから入団順に紹介していこう。
最初に紹介するのは、91年のドラフト5位で近鉄バファローズに入団した背尾伊洋だ。91年夏の甲子園に控え投手として出場し、決勝戦でも胴上げ投手になるなど、同校の初出場初優勝に貢献しただけに、熱心な高校野球ファンの間では知られた存在だった。
近鉄では大型投手として期待されたが、1軍登板は96年の18試合と97年の4試合のみ。プロ初勝利こそ完封で飾ったものの、結局白星はこの1勝だけで、計55回1/3を投げて1勝2敗、防御率3・25という成績であった。その後、98年途中に交換トレードで読売ジャイアンツに移籍するも、ケガが原因で1軍登板がないまま、00年に現役を引退している。
城西大を経て、98年のドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団した川井貴志はスライダーやスローカーブ、スクリューボールなどを投げ分ける技巧派左腕としてそこそこ活躍したクチである。16年に引退するまで千葉ロッテに7年、東北楽天ゴールデンイーグルスに11年所属し、プロ生活18年で307試合に登板した。622回1/3を投げて28勝36敗、385奪三振、防御率4・51という成績が残っている。そのなかでも絶頂期は02、03年で、02年は51試合に登板し、78回1/3を投げて4勝1敗、奪三振75、防御率は自身最高の2・76をマークした。翌03年は自身最多の54試合に登板し、75回1/3を投げて4勝0敗、奪三振65、防御率は4・42であった。
3人目の福井強は、同校入学が96年というからいわゆる松坂世代に当たる。速球派のエースとして活躍し、3年夏の大阪府予選も優勝候補に挙げられていたが、3回戦で金光第一(現・金光大阪)に敗れて甲子園出場はならなかった。卒業後はプリンスホテルに進んだが、2年目の00年に野球部の廃部が決まったため、特例措置で規定より1年早いこの年のドラフトで西武ライオンズ(現・埼玉西武)から8位指名されて入団することに。
と、ここまで書いてもよほど熱心なライオンズファンでもない限り、「誰?」という感じだろう。それもそのハズ、03年のフレッシュオールスターゲームに出場経験はあるものの、プロ4年間で1軍登板はまったくなく、04年に現役を引退しているのだ。
続く4人、5人目も1軍登板ゼロのまま引退した投手である。4人目は、同校を卒業後に日本生命を経て01年のドラフト4位で近鉄に入団した谷口悦司がその人だ。プロ入り後3年間は1軍登板がないまま、04年オフのオリックス・ブルーウェーブとの球団合併に伴う選手分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍している。だが、翌05年もヒジのケガの影響などにより1軍登板はならず。さらにこの年限りでの戦力外通告を受け、プロ生活わずか4年間で現役を引退したのだった。
5人目の三島輝史は、2年生時だった02年夏の甲子園出場経験がある。初戦で東邦(愛知)の前に3-5で惜敗。翌03年は夏の大阪府大会の6回戦で敗退し、そのまま同年のドラフトで千葉ロッテから5位指名されて入団した。だが、その後のプロ5年間で1軍登板はなく、08年に戦力外通告を受け、現役を引退することとなった。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/b27ca0a4bfaefdb591ebb0bd14cf3dc87d906569
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Source: なんJ 高校野球まとめ速報
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