島袋洋奨「休める勇気があれば変わっていたのかなと……」

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1: 名無し 2020/09/09(水) 06:34:51.30 ID:hEql0yqua

なぜ島袋はプロで大成しなかったのか。巷でよく言われるのが、大学時代の酷使によって壊れてしまったと……。
それに対し、島袋の答えはこうだ。

「大学2年の春までは調子がよかったんです。春のリーグ戦で開幕から2連勝し、調子がよかったので次の日大戦も投げました。
でも、ここでヒジがぶっ飛びました」

 島袋が大学2年となった2012年春のリーグ戦。2年連続開幕投手に選ばれた島袋は、開幕カードの東洋大戦で強烈なインパクトを残した。
1回戦で延長15回をひとりで投げ抜き、チームは3対2でサヨナラ勝利。島袋は226球を投げ、21個の三振を奪った。

「センバツ決勝の日大三高戦で198球を投げたことはありましたけど、200球を超えたのは初めてでした」

 その2日後、島袋は中1日で東洋大との3回戦に先発し、7回(92球)1失点の好投で勝利し、チームは勝ち点1をゲットした。

 さらに翌週、中6日で日大との1回戦に先発し、8回122球を投げて4失点ながらも勝利し、開幕から3連勝。だがこの時、島袋の左ヒジは悲鳴をあげた。
左ヒジ内側側副じん帯に血腫ができ、すぐにドクターストップがかかった。ヒジが回復するまで、約5カ月のノースロー調整を強いられた。

「東洋大戦の226球と、それから中1日で先発したことで全盛期の投球ができなくなったと周りから言われますが、開幕カードの時は肩・ヒジは大丈夫だったんです。
次のカード(日大戦)で休める勇気があれば変わっていたのかなと……」

「大学4年春のリーグ戦の時には、とうとうフォームがわからなくなり、腕が縮こまってしまって、キャッチボールもまともにできなくなりました。
『マウンドに上がりたくないなぁ』って、しょっちゅう思っていました。自分のフォームへの対処法がわからず、ただ単に投げていただけでした」

 キャッチボールをしてもまともに投げられない。ブルペンに入っても「早く終わってくれ」と願うだけ。しまいには、ボールを触るのも嫌いになる。
うまくなりたいと練習しているはずなのに、焦りだけが募る。気がつけば、島袋のピッチングはグチャグチャになってしまった。

「プロになってからもコントロールの悪さは変わらなかったです。三軍からのスタートでしたが、心機一転という気持ちにはなれませんでした。
投げるたびに不安になって……その気持ちは引退するまで消えませんでした」

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2020/07/30/___split_77/


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Source: なんJ 高校野球まとめ速報
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