元プロ野球選手の車掌に「あれ?」甲子園沸かせた報徳学園の左腕の現在

在庫処分最大40%オフバナー 720 × 300
元プロ野球選手の車掌に「あれ?」甲子園沸かせた報徳学園の左腕の現在 京大でも手腕
http://news.yahoo.co.jp/articles/c32ff92123059df62e9c5e24f6d6299bc4fba0d3

その後、1軍昇格は一度もなく、4年目の12年夏には「最後の勝負」と野手転向しながら、そのオフに戦力外通告を受けた。
指導者を目指して教員免許取得のため、大学進学を検討していた時、社会人野球の強豪、JR西日本から誘いを受け
「大学は後でも行けるけど、現役は今しかやれない」と入社を決意。14年には創部80年目にして初の都市対抗出場にも貢献した。

15年に引退。上司の紹介で17年から京大の臨時コーチを務め、18年から正式に就任した。
自らと正反対、甲子園などの大舞台とは無縁の選手が大半の京大生。出会いから順調とはいかない。
「理解は早いんですけど、体が反応しないというんですか。そこがもどかしかった」

 だからこそ近田氏が守り続ける教訓は「絶対に、頭ごなしに言わないこと」だという。

 「僕の教えが、絶対ではないですからね。選手たちは、説明で理解できなかったら『何言ってるんですか?』と、そう言わないまでも、
顔を見ていたら、ふに落ちていないというのは、すぐに分かります。でも、低いところに合わせると、低いところで満足する。
全体で話すときは、プロで教えてもらったレベルで話すようにしています」

 そうした地道なコミュニケーションを通し「意識を変えていく。その積み重ねでした」。
昨秋の躍進ぶりは、近田氏がもたらした意識改革の成果を物語る。  「僕は、プロで鼻を折られて、全く通用しなかった。だから、学生が結果を出せなくても話ができる。それが指導者としての糧です」。
ホークスでの苦闘の経験が、京大を“戦う集団”へと変える、貴重なエキスになっているのは間違いない。

現在は車掌業務に汗

 近田氏は、社会人野球でプレーしていた3年間は広島・横川駅、16年からの3年間は兵庫・三ノ宮駅で駅員を務め、現在は明石車掌区に所属している。
週2~3回は京都-播州赤穂間で新快速、快速、普通電車に車掌として乗務。「車内放送もやりますし、駅でドアも開けますよ。普通に車掌をやっています」。
胸に名札も付け、車内放送では、始発駅を出発した際に、車掌自身の名前もコールするため
「声までは掛けられませんけど、あれっ?という顔をされている方はいますね」。


続きを読む

Source: なんJ 高校野球まとめ速報
元プロ野球選手の車掌に「あれ?」甲子園沸かせた報徳学園の左腕の現在

初めてのペットライフ応援キャンペーン