あの興南・島袋が27歳で引退してサポーターの販売員をしているという事実

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島袋
引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1578700480/
1: 風吹けば名無し 2020/01/11(土) 08:54:40.43 ID:3UYWGHTna
 戸惑いの連続で、一日があっという間に過ぎていく。サラリーマンとして第二の人生をスタートさせた島袋は「野球とは全然違う疲れ方ですね。覚えることが多くて大変です」と苦笑いした。

 入社したのはサポートギアなどを扱うメーカー「アスリートビジョン」。販売員として東京、横浜の店舗で働いている。「僕がプロに入ってから肘のサポーターなどを使わせてもらっていた。興味がある分野だったので、決めました」と話した。

 生活拠点を東京に移し、妻を沖縄に残しての単身赴任生活。「通勤時間の満員電車が本当に苦手」と、朝は自宅を出る時間を早め、各駅停車の電車で座席を確保する。食事面の苦労も多いが「米だけ炊いて、総菜を買っています」。学生時代にアルバイト経験もなく、パソコンの使い方から学んだ。「エクセルって何だろう」というレベルからのスタートだったが、メールや資料のプリントアウトなどはこなせるようになった。

 興南では10年にエースとして甲子園春夏連覇の立役者となり、沖縄は「トルネード旋風」に沸いた。中大を経てソフトバンク入り。プロでは1年目に2試合に登板したが、2年目以降は1軍に呼ばれることはなかった。「春夏連覇がなかったら、あの後の僕はなかった。プロでは結果が出なかったけど、悔いはない」と5年間のプロ生活を振り返った。

 将来の夢は、故郷の沖縄で野球の指導者になることだ。興南の我喜屋優監督からは「(指導者の)道の中に興南もあるよ」とエールを送られたという。プロでは左肘を手術するなど、リハビリ生活も経験しただけに「プロで教わったことがたくさんある。指導者になれば経験したことを言ってあげることができる」と自身の体験談も指導に生かす構えだ。

 11月に一度、沖縄に帰省し、故郷への思いを再確認した。「僕にとって沖縄は特別な場所。甲子園は想像はできないけど、やるなら上を目指していきたい」。まずはサラリーマンとして野球以外の世界を勉強し、視野を広げる。そして、母校を率いて甲子園の頂点へ。島袋の新たな挑戦が始まった。

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/12/11/kiji/20191210s00001173420000c.html

4: 風吹けば名無し 2020/01/11(土) 08:56:07.98 ID:XCSanY1C0
投手は大学に行っちゃダメ

5: 風吹けば名無し 2020/01/11(土) 08:56:40.47 ID:JxVDhXljM
資料のプリントアウトて…

78: 風吹けば名無し 2020/01/11(土) 09:15:40.76 ID:GmKb8X/K0
島袋クラスの知名度でもセカンドキャリアは販売員なんか
厳しい世界やな


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Source: なんJ PRIDE
あの興南・島袋が27歳で引退してサポーターの販売員をしているという事実

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