引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1576167299/
ただ、さらにさかのぼれば栄光を築いたと思われがちなメジャーリーグのボストン・レッドソックス時代も実を言えば現地での評価は芳しいものではなかった。華々しく移籍した1年目の2007年シーズンはローテーションの一角として15勝をマークし、チームのワールドシリーズ制覇に貢献。だが12敗を喫し、防御率も4・40と不安定な投球内容がかなり目立っていた。翌2008年シーズンは18勝3敗、防御率2点台とし、数字的にみればかなりいい成績を残したように思える。
ところが当時を検証する地元ボストンの主要メディアは辛らつで今現在も「セイバーメイトリクス(統計学的に分析した野球に関するデータ)でも松坂は07、08年ともに〝運〟と〝味方の打者〟に大きく助けられている」などと酷評している。総じて与四球率が高く〝イライラさせる投手〟であることも、現地ビートライターたちの印象を悪くしていたのかもしれない。
レッドソックスは西武からポスティングシステムを行使した松坂の獲得に5111万1111ドル11セント(当時のレートで約60億1000万円)もの大金を入札金として投じた。さらに松坂とはインセンティブを含め総額5200万ドルと入札金とほぼ変わらない額で6年契約を締結。当時としては、そんな破格のカネを東海岸の名門球団がわざわざ工面したのだから入団前から〝さぞや日本のマツザカという男はスーパーピッチャーに違いない〟との期待が膨らむのも当然だった。ちなみに米国内で論争にまで発展した「マツザカはとんでもないジャイロボールを投げる」という根も葉もないウワサが立ったのも、その流れである。
とはいえ、このレッドソックス時代の松坂には気の毒な一面もあった。「チーム松坂」と呼ばれる専属トレーナーら日本人スタッフ複数人がべったりと付き、どこへ行くにも常に一緒だった。日本人が周りにいれば、孤独感を味わうことなく安心できる。だが、これは本人も気付かないうちにチームメートたちとの「壁」を作り出す要因になっていた。これに危機感を覚えて松坂本人がブロークンイングリッシュでもいいから懸命に会話をしようと試みていれば、主力たちは受け入れてくれていたかもしれない。
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Source: なんJ PRIDE
松坂、未だにボストンで嫌われていた