引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1575299288/
「あの小さい体で、とんでもなく速い球を投げる。本当に素晴らしい投手でした。最高の時期は高校時代だったのかもしれないが、本人も悔いはないと思う。私も彼を指導できたことに悔いはないです」
中央大OBで卒業後プロにも進んだ秋田氏が、前監督の推薦で母校の監督に就任したのは2012年。島袋は1年生ながら入学直後の東都春季リーグで開幕投手に抜てきされ、防御率0・99を記録して新人賞を受賞した期待のルーキー。監督としては2年時からの付き合いも、その島袋を獲るよう尽力したのが他ならぬ秋田氏だった。
「監督就任前は大手の電力会社に勤務していたんですが、たまたま島袋の親父さんが同業者でね。OB会の意向もあって、いろんなツテをたどって会わせてもらった。ただ、結局は本人の意思。中央大に来てよかったかどうかは本人にしかわかりません」
秋田新監督のもと、迎えた2年春のシーズン。開幕戦で延長15回、226球を投げ劇的な完投勝利を挙げた島袋だが、ほどなくして左ヒジを故障。そこから少しずつ歯車が狂い始める。制球が定まらず、徐々に四球や暴投が目立つようになっていった。
「イップスみたいな感じでね。心なのか技術的なものなのか、原因がわかったら苦労はしない。それでも、監督をやった5年間で一番印象に残っているのがあの初戦。ウイニングボールは今でも持ってます。あれだけ投げられるわけですから、いつか戻ってくれるだろうといろいろなことをやりました」
ときにリリーフとして起用、3年秋には主将にも任命した。4年春には開幕カードで5連続四球と状態が戻ることはなかったが、秋には本人の意思でプロ志望届を提出。ソフトバンクに5位指名されると、人目をはばからず涙を流した。その光景を、秋田氏は複雑な思いで見つめていた。
自身もプロ5年で戦力外、30歳手前から職を転々としてきた秋田氏はこう島袋にエールを送る。
「大事なのは感謝の気持ち。私はゼロからのスタートでしたが、それさえあれば何とでもなる。あの子はそれを持ってる子、心配は何もしていません。僕と同じで、これからですよ」
高校時代、県勢悲願の夏初優勝と史上6校目の春夏連覇を成し遂げた“沖縄の伝説”島袋洋奨。栄光のその後を知る恩師は、トルネードのないだ今も教え子の行く末を思っている。
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Source: なんJ PRIDE
元中央大監督・秋田氏「島袋本人も悔いはないと思う。私も彼を指導できたことに悔いはない」