1: 名無し 2019/08/12(月) 02:16:50.13 ID:RU2ZzX/J9
その歴史の中でも史上最高の守備の名手と言われた人物が11日放送のTBSのドキュメントバラエティー「消えた天才」(日曜後6・30)に出演した。
常葉学園菊川(現常葉大菊川)OBの町田友潤さん(29)だ。
1年秋からレギュラーとなり、「2番・二塁」として07年センバツでは静岡県に29年ぶりとなる紫紺の大優勝旗をもたらすなど、2年春から4季連続甲子園出場。
甲子園で66度の打球を処理(触球113)を記録、球際の強さや守備範囲の広さはピカ一で、「甲子園史上最高の二塁手」と呼ばれた。
高校時代に対戦経験のある楽天の浅村は、
「天才です。あんな選手見たことない。レベルが違う。本当にすごかった」と話し、
さらに、昨年、ゴールデングラブ賞を初受賞した西武・源田も、「体のバランスもすごいし、高校生の段階であんなプレーができるのはヤバイ」と称えている。
また、現役時代に守備の名手とされた宮本慎也氏、仁志敏久氏も同様に当時のプレーを絶賛した。
町田さんは「自分の守備が試されている大会だと思った」と語り、将来はプロを目指していたと明かす。
しかし、早大進学も1年で中退し、社会人野球のヤマハで4年間プレー。
社会人では、難しい打球を完璧にさばいたはずが、肩の弱さからほとんどセーフになってしまう事態が起きた。
「送球が通用しないんじゃ…」「自分の存在価値がなくなってきたのか」と悩み、そのうち守備にまで悪影響が出てしまったという。
守備を絶賛した宮本氏も「なんで二塁なのかな。本当にうまかったらショートをやる。
投げるのに自信がなかったのかな」と疑問の言葉を投げかけていた。
現在は障がい児学童保育施設「放課後等デイサービス グリーピース」の代表を務める。
きっかけは、日本一となって菊川市へ凱旋した直後、偶然出会った親子連れから記念写真を頼まれた。
会話をした少年は障がいを持っていたが、町田のプレーに勇気づけられている、と聞かされたことだった。
「いつか引退したら、この子たちに直接貢献できる仕事をしたい」と思い、現職に。
「野球をやっていなかったら、この職には就いていなかった。野球と同じくらい夢中になっている」と笑顔で語った。
https://news.livedoor.com/article/detail/16914886/
2019年8月11日 20時38分 スポニチアネックス
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Source: なんJ 高校野球まとめ速報
「甲子園史上最高の守備の名手」が球界から姿を消したワケ 「送球が通用しないんじゃ…」