
介護中のかぼちゃんとの旅行は、ある言葉の記憶しかないのです
思い出です。
エンゼルフォレスト
白河高原に行きました。
2年連続で
同じコテージに
泊まったんですよ。
同じコテージに
泊まったんですよ。
移動の車の中で
かぼちゃんは
かぼちゃんは
ずっと
起きていたので、
宿に着いたら
ぐっすりでした。
まごっち達が
やってきてからは
一気に賑やかに
なりましたが、
買ったばかりで
この日初めて使った
この日初めて使った
折りたたみケージの
お陰で、
かぼちゃんは
安心した様子で
寝てくれて
いました。
床には持参した
滑り止めマットを
敷きました。
出発前は
かぼちゃんのための
かぼちゃんのための
荷物を準備するのが
大変でしたよ。
この時はもう
かぼちゃんは
シリンジで
ご飯を
食べていましたし、
毎日点滴も
していましたからね。
忘れ物は
絶対に
できませんでした。
絶対に
できませんでした。
宿でも
持参した
ミキサーを使って
かぼちゃんの
ご飯の準備をしたり、
今までのように
ゆっくりと
くつろぐことは
できませんでした。
この頃から数カ月間が
精神的に
一番苦しかった
気がします。
さて、
ここから先は
今の私ではなく
辛かった頃の
私が感じていたことを
書きますね。
かぼちゃんは
少しずつ弱っていき、
少しずつ弱っていき、
私はやることが
どんどん
増えていきました。
かぼちゃんの様子を
毎日しっかり
見たいという理由で
かぼ父さんと
分担していた
1日2回の散歩も
両方とも
私が行くように
なっていました。

私が必死で
かぼちゃんに
ご飯をあげている時も
点滴をするのに
手動ポンプを
シュポシュポして
腕が痛くて
たまらない時も、
かぼ父さんは
テレビを観て
笑っていたりして、
毎日毎日
私の胸はモヤモヤで
いっぱいでした。
大丈夫だよ、
ありがとうと言って
笑ったけど
泣きそうなくらい
嬉しかったんです。
住んでないからこそ
私の大変さに
驚いたのだと思います。
一緒にいたら
当たり前の
光景ですものね。
炊事や洗濯を
してくれるので
介護中は
助けられました。
それで十分だろうとも
思うのですが、 毎日
悲しみや不安と
戦いながら
思うのですが、 毎日
悲しみや不安と
戦いながら
介護を
頑張っている人には
言葉で
感謝の気持ちを
伝えるって
何よりもの
プレゼントだと思うのです。

毎日大変だよね。
いつもありがとう。
いつもありがとう。
オレに何か
できることある?
手を貸そうか?
こんなことを
テレビを
見ながらではなく、
ちゃんと顔を見て
言ってもらえたら
それだけで
モヤモヤは消えると
思うのです。
かぼちゃんの
介護の後半に
私はモヤモヤが
爆発して
この日
1号に言われて
嬉しかった
言葉の話を
かぼ父さんにしました。
それからは
かぼ父さんは
毎朝LINEで
いつもありがとうございます。
感謝しています。
という
定型文を
送ってきていました。
(全く嬉しくないが笑った)
全然旅行記には
ならなかったけど、
ならなかったけど、
この時のことは
1号の言葉の記憶しか
ないんですよ。
何を食べたとか
写真もないし
覚えてないの。
でもわかるのは
かぼちゃんは
笑顔だってこと!!
あの頃の私に
伝えたいです。
もっと
気楽にいきなさい!
かぼちゃんは
何も恐れてないよ。
毎日
楽しんでるよ!
だからアナタも
楽しんで(^^)
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Source: かぼすちゃんとおさんぼ
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