
3・11から10年、たった1つのご家族へ、そして、たくさんのご家族へ…
今日は東日本大震災から10年でした。
先週末くらいから、震災関連の報道が数多く流れ、
大切な人を失った方々の姿を見ては涙。
苦難を乗り越えて、前向きに頑張っている方々の姿を見ては涙です。
当時は、ショックは受けたものの、テレビを見て泣くことはなかったのですが…
あの頃、両親はまだ健在で、
私の傍らには、両目の義眼手術を終え、痛みから解放されたミッチーがいました。
あれから10年…
この間、父も、母も他界し、ミッチー&タロ兵衛を看取りました。
大好きな相手を失う事の痛みが、やっとわかったのかもしれません。
そして、あの震災と原発事故によって運命が変わってしまったのは貫太。
地震発生当時、2歳から4歳くらいだったと思われます。
突然飼い主さんご一家は避難を強いられ、
2、3日で戻れるから、ペットは置いて行くよう言われたのです。
ウソでした。
その後何ヶ月も自宅に戻ることはできなかったのです。
残してきたペットたちを思い、飼い主さんは胸を引き裂かれる思いだったでしょう。
貫太は外飼いだったのかな?
チェーンは外されていたのかな?
地震発生から約1ヶ月後、立入禁止区域内で、ボランティア団体に保護されました。
2011年9月、シェルターでの散歩中の貫太です。
犬たちの世話をするボランティアに通っていた私でしたが、
犬たちの数が多く(450匹ほど)、写真を撮っている余裕はほとんどなくて、
シェルター時代の貫太の写真はこれを含めて2、3枚でした。
1日1回の散歩以外は、このようなケージの中で過ごしていた犬たち。
福島の豊かな自然の中で、
のびのび過ごしていたコらにとっては、辛い日々だったと思います。
我が家には犬嫌いの先住犬ミッチーがいましたが、
2011年10月末、貫太を我が家に迎えました。
慣れない動物病院でビビったり(笑)、
初めて(かも知れない)の海でサーファーを珍しそうに眺めたり、
外用の水の器に張った氷を舐めてみたり、
ミッチー姉さんと初日の出を見に行ったりしました。
目が見えないミッチー姉さんとは、
ガラス越しに鼻チューもしたっけ♡
その後、タロ兵衛爺さんもやってきて、
凸凹訳あり3柴生活!
今は、チャキチャキの妹あんに押され気味ですが、
仲良く、楽しく暮らしています。
あの時、断腸の思いで愛犬を残して避難した柴犬のご家族さん、
この顔に見覚えはありませんか?(推定2〜4歳、未去勢のオス)
2011年10月末
7ヶ月のシェルター生活を経て、
我が家に来て約9年半、元気に、幸せに過ごしてきましたよ。
だから、どうか、「ゴメンね…」という気持ちはもう持たないでください。
最後の最期まで、責任をもって我が家で大切にお預かりします。
そして、シェルターでボランティアをしていた私は、
福島で被災したなん十匹、なん百匹という犬や猫たちが、
心ある里親さんの元に引き取られて行くのを見てきました。
あの時、愛するペットたちを残して避難し、
ずっと後悔と自責の念に苛まれてきたであろうたくさんの飼い主さん、
多くの優しい里親さんがいたのは事実です。
あなたの犬や猫たちも、幸せな第二の生活を送っているかも知れません。
どうか、どうか、
ご自分を責め過ぎないようにしてください。
そして、
もしご縁があるなら、条件が整ったなら、
新しい家族として犬や猫、保護犬、保護猫を迎え、
笑顔あふれる日々を過ごしていただけたら…と思うのです。
そんな事を考えながら迎えた、
私の10年目の3・11でした。
よろしくお願いします。
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Source: 湘南凸凹柴WAN日記
3・11から10年、たった1つのご家族へ、そして、たくさんのご家族へ…

