
シニアの保護犬を看取るということ…
昨日突然届いた訃報。
あんを保護し、大切に育ててくれていた「板橋の犬たち」さんのもとで暮らしていた、
シニア犬の大ちゃんが、虹の橋を渡ったとの知らせ。
午後、ボラ仲間さんが家に来ることになっていたので、
その時は「あ… 」と、少し実感がわかない感じでしたが、
皆さんがお帰りになって、
大ちゃんの事を思い出していたら、
寂しさ、悲しさがどんどん増してきて、涙が止まらなくなりました。
最後に大ちゃんと会ったのは、
多くの読者さんにご参加いただいた、去年のオープンオフ会。
あらためて、犬連れオッケーの室内ドッグランでやって良かったと思いました。
大ちゃんも駆けつけてくれたもんね♡
大ちゃんが大好きなmiw@さんに可愛がってもらって、
嬉しそうだったな。
お友達のFさんにも抱っこしてもらってたな。
そして、その約1年前の2018年10月、
miw@さんと一緒に、板橋の犬たちさん宅を訪問させてもらいました。
2年前の大ちゃんです。
目も見えていて、
まだまだ足腰もしっかりしていました。
あんと一緒に、猫たちのオヤツを狙う大ちゃん(笑)。
大ちゃんとあんは仲良しでした♡
あんは、板橋の犬たちさんのお宅にいた頃から、
威張りん坊だったらしいけど、
ひょうひょうとしている大ちゃんとは、馬が合ったようでした。
この訪問の時、
私は板橋の犬たちさんに、
「あんを我が家に迎えたい」ってお伝えしたのでした。
あれから2年…
大ちゃんとのお別れは、いつもの病院通いの途中、突然訪れたようです。
いくつか病気を抱えていた大ちゃん、
考えようによったら、苦しむ事なく、すっと逝けたのは良かったのかもしれません。
でも、
大切な大ちゃんを失った悲しさ、寂しさ、後悔がIさんを苦しめているようなのです。
大ちゃんは、板橋の犬たちさんに保護され、最期までお世話をしてもらって、
間違いなく幸せだったのですが、
それはわかっていても、今は、悲しみは深く、辛さは簡単には癒えないでしょう。
私は、タロ兵衛を看取ったとき、「できることはした」、「精一杯やった」と、
頭では分かっていても、「あの鳴いた時、こうしてやればよかった」とか、
「いい加減寝なさい!」なんて言わなきゃよかったって、今でも思ったりします。
大ちゃんも、タロ兵衛も、以前、本当に劣悪な環境におかれていて、
本犬たちは、過去の事は忘れてしまったかもしれないけど、
そういう過去があったからこそ、1日24時間、365日、1秒だって逃さず、
幸せにしてやりたかった。
だけど、そんな事は実際には不可能で、
シニアになれば、体のアチコチに不具合も出てきて、
治してやりたくても治せない事だってある。
社会生活を営む上で、お留守番させたり、我慢させたりしなくちゃならない事もある。
忙しさや、疲れによって、ついきつい言葉をぶつけちゃう事だってある。
そういう事が、看取った後、胸にチクリ、チクリと刺さってくるのです。
そんないくつかの棘、
タロちゃんを見送って2年経つ今でも、何本かはまだ抜けない…
もちろん、ミッチーとお別れした寂しさ、悲しさは、とっても大きいんだけど、
ミッチーの場合、生まれてから(正確には我が家に来てからだけど)死ぬまで、
私が愛情を注がなかった時間は1秒もない。
彼女の一生は、全て愛情とケアに包まれていた(はず)。
同じお別れ後の悲しさでも、そこがちょっと違う気がするのです。
…って、気持ちも、文章もまとまりがつかないのだけれど、
今の私に出来ることは、
「ああしてやればよかった」、「あんなことしなきゃよかった」と後悔しないよう、
全力で貫太とあんに愛情を注ぐことしかない。
2年前の、Iさんに抱かれるあん。
一生幸せにします!(って、プロポーズかよ)
あんには、そっと、
「大ちゃん、天寿を全うしたよ」と伝えました。
意味は通じてないと思うけど、
私が泣いていたからか、神妙な顔をして聞いてくれました。
大ちゃん、本当によく頑張りました。
安らかにお眠りください。
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Source: 湘南凸凹柴WAN日記
シニアの保護犬を看取るということ…

