小野伸二みたいな天才的な高卒Jリーガーがいなくなった理由w
2021年5月16日これまで風間八宏は常に新たな道に進み、日本サッカーの常識を覆してきた。
筑波大学卒業後、実業団からのオファーを断り、1984年にドイツのレバークーゼンに入団。1989年にマツダ(現サンフレッチェ広島)に加入すると、「俺はチームを優勝させるために日本に戻ってきたんだ」と言って日本代表を辞退。その言葉通り、1994年に主将として広島の1stステージ初優勝に貢献した。
指導者になると、さらに大きなインパクトを残す。2012年4月に川崎フロンターレの監督に就任すると、技術にこだわって攻撃的なスタイルを追求。現在Jリーグで首位を独走する王者フロンターレの土台を築いた。
2017年から約2年半率いた名古屋グランパスでは、さらに狭いエリアに相手を閉じ込めるサッカーに挑み、途中解任となってしまったが、「誰もやっていないこと」に挑み続けてきた。
なぜ風間八宏がセレッソに?
その日本サッカー界きっての革命家が、新たなプロジェクトをスタートさせた。
2021年1月、風間はセレッソ大阪アカデミーの技術委員長に就任。ユース、ジュニアユース、スクールの改革を託された。いったい風間は何をしようとしているのか?
事の始まりはセレッソの森島寛晃社長と梶野智強化部長が、Jリーグを分析したことだった。どんなサッカーが勝っているか? これからどんなサッカーが強くなるのか? いろいろな視点から調査し、彼らは風間の存在に行き着いた。
まず梶野が風間のもとを訪れ、次は森島も同行。最後はセレッソアカデミーの代表理事を務める藤田信良も一緒に出向いた。まさに「三顧の礼」である。
風間はこう振り返る。
「森島社長らから『ただ単にプロ選手を出すのではなくて、特別なプロ選手を出したい。そのためにいろんなアイデアを出して欲しい』と言われました。セレッソからの熱意を感じたので、私の決断も早かった。ぜひ一緒にやりましょうと回答しました」
「小野伸二の世代までは高卒Jリーガーが強烈だった」
風間はJリーグの監督を経験し、あらためて日本サッカーの大きな課題に気づいた。
それは「突出した個」の不足。
優れた選手はいるし、平均値は間違いなく上がっている。だが、ヨーロッパに目を向けたら、10代の中心選手がたくさんいる。育成改革が必要だと確信した。
「小野伸二の世代の頃までは、高校からJリーグに入って来る選手はみんな強烈でしたよね。野球でいうところの4番打者、エース級がごろごろいた。今は驚きをもたらす選手が減ってしまった。
昔なら中田英寿、名波浩、小野伸二、中村俊輔たちは特別なプレーヤーとしてヨーロッパへ行った。そういう個性がどんどん薄まっていると感じています」
大空翼、日向小次郎、松山光だって“別のチーム”
なぜエース級が減ってしまったのか? 風間は育成の構造に原因があると見ている。
「Jリーグの初期は、地域のエースがJユースにさえ集まりすぎることはなかった。それがいつしか、様々なチームが短期的に“今”を見て“その時点のエース”を集めてしまっている。
たとえばJユースの人数は1チームあたり約30~40人。そこにエースを集めると、エースの役割をできるのは1人になってしまう。『キャプテン翼』だって、大空翼、日向小次郎、松山光らエース級が異なるチームを背負っているから切磋琢磨して、それぞれのスケールが大きくなるわけじゃないですか。
早くからエースを集めすぎる傾向が、小野伸二のような選手の数を減らしていると思います」
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2a66722ce37618c7f6b3b4bb284e91c40c9f0a7
続きを読む
Source: SAMURAI Footballers
小野伸二みたいな天才的な高卒Jリーガーがいなくなった理由w