【久保竜彦】「サッカー選手は頭固い。人の話聞かず自分を貫く」
2020年12月2日現役中、特に後半はケガとの戦いだったように思う。
持病の腰痛と膝痛が悪化し始めたのは2004年くらいから。今まで蓄積されたものが徐々に出てきた感じだった。試合だけならまだ、痛み止めや注射を打てばなんとかなる。けれど、普段の生活でも支障が出てきたのには参った。ちょっとした動作でも痛みが走るので、ジッと座ることもできず、とにかく苦しかった。
2006年、ドイツW杯の代表最終選考で落選したのも、この痛みのためだ。「あと1年早かったら」と言ってくれる人もいたけれど、たとえ1年早くてもケガの痛みは変わらなかった。
思い返せば小学4年生の時、メキシコW杯でマラドーナが優勝し、ワールドカップを抱いている姿を見て以来、「ああいう風になりたい」という思いでやってきた。高校までは国体以外で全国大会に出たことがなかったけど、縁あってサンフレッチェ広島に入ることができ、凄い人たちと一緒にグラウンドで練習する中で「負けたくない」と頑張った。そこから横浜F・マリノスに移籍して優勝。AFCチャンピオンズリーグにも出場し、ジーコ(監督=当時)から代表に呼ばれた。
代表合宿に呼ばれるようなメンバーはみんなどこかしら痛めているのが普通だ。各自が騙し騙し、うまくプレーしていた。特殊だったのは中田英寿と鈴木隆行で、本当に身体が強かった。
サッカー選手は基本頭が固い
代表で何試合かプレーさせてもらって感じたのは、韓国人以外の外国人は親善試合では本気を出さないこと。キリンカップやヨーロッパ遠征時にそれを強く感じた。本気を出すのは一瞬だけで、あとはサラッとやっている感じ。それでもフィジカルの強さは段違いだった。
一時は海外でプレーしてみたい思いがあり、実際にロシアやベルギーからオファーの話があったようだけど、代表の試合に出てみて無理だと感じた。言うまでもないがサッカーは接触が多いスポーツだ。こんな体の状態なのに、外国人選手に本気を出してプレーされたら、こっちが壊れると思ったからだ。
早期に手術をして治していたら違う未来があったのでは、と言われることもある。ただ、自分は手術だけは絶対にやりたくなかった。サッカー選手というのは基本頭が固い。周りからのアドバイスを聞いているふりをして、実際には聞いておらず、自分を貫く者が多い。変えたことといえば、酒をやめたくらいかな。
転機となったのは、2007年に横浜FCに移籍して、痛みも引かないので「もう辞めようか」と思っていた時に、ある先生と出会い、最初に腰を治してもらったこと。選手寿命が延び、結局38歳までプレーできた。先生には今でも感謝している。
【プロフィール】
久保竜彦(くぼ・たつひこ)/1976年生まれ、福岡県出身。サンフレッチェ広島、横浜F・マリノスなどで活躍。現在は山口県に移住し、塩づくりをしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/531c30fc4ad0060534089101d27b566f1fc26e92
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Source: samuraigoal
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