久保建英がスペインに渡る20年前。アトレティコと契約した日本人少年がいた…
2020年5月21日2000年前後は、ヨーロッパが日本人サッカー選手を受け入れ始めた時代だった。欧州のクラブにとって、年齢が若ければ若いほど選手を”転売”して稼ぐことができる。青田買いも始まっていた。
1999年には、玉乃淳が15歳で、リーガ・エスパニョーラのトップ3の一角、アトレティコ・マドリードの下部組織に入団している。
きっかけは、「1999年ナイキ・プレミアカップ」だった。東京ヴェルディジュニアユースの一員だった玉乃は、バルセロナで行なわれたこの大会で、レアル・マドリードのジュニアユースと一戦を交えている。
カンプ・ノウの横にあったミニ・エスタディで、5000人近い観衆の声援を受けた。地元の人々にとって、宿敵マドリードと戦うチームの玉乃は”味方”だったのだ。
玉乃はレアル・マドリードの選手たちをあざ笑うようなドリブルを見せた。東洋人を見下していたディフェンダーが、勝手の違いに慌てふためく姿がたまらなかった。
アディショナルタイムには、わざとボールをキープし、力の違いを見せつけた。スタンドが地響きを起こすように湧きかえり、玉乃のアドレナリンで気分はハイになった。
「スペインは試合が盛り上がるし、”ここでやりたい”と思いました」
玉乃はそう振り返っている。
この試合で、彼はいくつかのオファーを受けた。そして、環境のよさそうなアトレティコとの契約を決めている。久保建英(マジョルカ)がバルセロナに見初められたように、そのプレーが認められたのだ。
玉乃は1年目から、攻撃の中心としてプレーした。8得点11アシスト。その後、欧州最高のストライカーのひとりになったフェルナンド・トーレスと2トップを組んだ試合もある。
「ジュン(玉乃)のことを忘れるはずがないよ! トーレスはユースやトップに召集されることが多かったから、僕がジュンと2トップを組んでいたのさ。あいつのアシストでたくさん点を取った」
当時のメンバーで、スペイン代表にもなったFWマヌ・デル・モラルはそう証言していた。1984、85年生まれの選手で構成されたチームは、無敵の強さを誇ったという。
招待大会は連戦連勝で、中田英寿がローマにいた時代のユースに5-0で勝ったこともあった。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200521-00894310-sportiva-socc
5/21(木) 6:20配信
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2099/01/01(月) 00:00:0.017 ID:一攫千金を目指すな無し
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Source: サカラボ
久保建英がスペインに渡る20年前。アトレティコと契約した日本人少年がいた…