【サッカー】柱谷哲二が語るドーハの悲劇。 イラク戦で投入してほしかった選手の名は

2020年2月4日 オフ 投稿者: footn0033
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1 名前:砂漠のマスカレード ★:2020/02/01(土) 08:02:15 ID:6nqEW9yl9.net

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇~ 柱谷哲二(3)

1993年10月、アメリカW杯最終予選に向けての日本代表メンバー22名が発表になり、初のW杯出場を目指す日本代表を応援しようと国内の熱が高まっていた。
Jリーグが開幕し、日本中がサッカー一色になり、その勢いが日本代表にも伝播したのだ。

W杯最終予選前に、国内でアジア・アフリカ選手権が開催された。

この大会前、日本代表のキャプテン・柱谷哲二は、肝機能を低下させるウイルス性の風邪のために8月上旬から1カ月ほど入院生活を送った。
コートジボワールとの試合の時は復帰して2週間しか経過しておらず、ぶっつけ本番だったのだ。

ハンス・オフト監督からは「前半だけ出ろ」と言われたので、そのつもりでプレーした。試合は直前のスペイン合宿で露呈した守備の脆さがなくなり、相手を封じ込めた。
前半0-0で終わり、「交代だな」と思い、ロッカーでオフトを探した。

「チェンジと言われると思ってオフトの顔を見ていると、ぜんぜんこっちを見ないんですよ。目を合わせないまま結局後半もゴーになり、出ることになった。
延長までやってカズ(三浦知良)がゴールを決めて勝だったんだけど、ゼロに抑えたことで自分はできる、これならやれるなっていう自信がついた」

ただ、柱谷の病気は完治したわけではなく、37度2分の微熱がつづき、体の節々に痛みを感じた。
アメリカW杯最終予選のカタール・ドーハに入ると、暑さの影響で熱が下がらず、それまで肝臓に負担がかかると飲用しなかった薬を飲み、試合に臨んだ。

アメリカW杯最終予選のサウジアラビア戦は0-0のドローに終わった。続くイラン戦、日本は1-2で敗れて早くも土壇場に追いやられた。

「サウジはいちばん力があるチームなので、ドローはまあしょうがないという感じだった。でも、次のイランに負けたのは誤算だった。
ロッカーでラモス(瑠偉)が『向こうがユニフォームを泥だらけにして必死に戦っているのに、俺たちは誰のユニフォームが汚れている? 
これで勝てるわけねぇーだろ』って怒っていた。そのとおりだなって思ったね」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200201-00885040-sportiva-socc
2/1(土) 6:00配信

引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1580511735

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Source: フットボール速報
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