「久保竜彦」を生かせなかった日本サッカーの現実

2019年10月12日 オフ 投稿者: pachitown
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1: 2019/10/12(土) 17:46:50.27 ID:Gl68b/Ci9
「サッカー界の“宝石”久保」のストーリーだと聞くと現在誰もが久保建英をイメージするだろう。しかしこれから取り上げるのは2000年代を代表するストライカー“ドラゴン”久保竜彦である。破天荒で豪快。圧巻のバネと得点力。「宝石」とさえ呼ばれた特異な才能は、プロとしてどのように評価され、どのように評価されなかったのか。「単独で欧州や南米の守備陣を破壊しうる人材」。そんな彼を彷彿とさせる新たな日本を代表するストライカーの出現に期待しつつ、久保竜彦の“破天荒さ”と“凄み”を数々の証言を交えて振り返る。

(本記事は、9月20日に『REAL SPORTS』で掲載された記事に一部、加筆・修正を行って掲載しています)

「2002年? その時は地球が滅亡するらしいから」

久保竜彦を書くと決まった時、何から書き出すか、判断に迷った。彼のプレーの素晴らしさか、それとも破天荒な生活か。

ただ、もう久保竜彦の存在自体が歴史的なものでもある。なので、彼の名言の数々をまずはご紹介したい。古くからのサンフレッチェ広島サポーターや久保ファンの方々にはご承知だろうが、若いサッカーファンはご存知ないと思うので。

1996年、初めてのインタビュー。
「中学の時から、サッカーが楽しくなった。遠征とか、バスに乗っていくのが楽しいから」
サッカーのプレーそのものでは、ないんかい(苦笑)。

「高校の時、初めてサッカーの知識とか、教えてもらった。すごかった」
「何がすごかった?」
「よー、わからん」
……はい?

「レイソル? 黄色のユニフォームですかね?」
うーん……。

「最初に出たのは(清水)エスパルス戦だった。広島と違って、なんか、怖かった」
いやいや、怖いの意味がわからない。

当時は2002年FIFAワールドカップが日本で開催されるかどうかという話題でもちきりだったこともあり、その話を振ってみた。その答えが、
「2002年? その時は地球が滅亡するらしいから」
「えっ、どういうこと?」
「1999年に地球はなくなるんでしょ」
「……もしかして、ノストラダムスの大予言?」
「そうっす」
瞳はまったく笑っていなかった。あと4年で地球が滅亡するという予言に、おびえていた。なので、当時のある説を教えてあげた。「最近の研究では2012年らしいよ」
「そうなんですか! よかった」
当時は坊主頭ではなく、パーマがかかった髪を揺さぶるように、久保竜彦は笑った。

「試合に出始めているけれど、すごいなって思った選手は?」
その質問に、彼はずーっと、無言。必死で考えて、考えて。言葉のない時間が1分以上も続いたあとで、
「あんまり、知らないんです。カズ(三浦知良)さん、レオナルド、ストイコビッチ、ゴン(中山雅史)さん、くらいしか。あ、ジュビロの8番の人、上手いですね」
ブラジル代表主将のドゥンガのことを、彼は知らなかった。

1997年、レギュラーとして試合に出始めた頃。当時、ステージ優勝を争っていた横浜フリューゲルス戦で森保一がセザール・サンパイオと激突した。
「ポイチさんに何しとるんや」
森保を師と仰ぐ久保は、サンパイオに対して激怒。彼をピッチ上で追い回し、警告を受けた。
もちろん、褒められた行為ではない。しかし、久保の場合はどこか、ユーモラス。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191012-00010000-realspo-socc
10/12(土) 13:10配信

2: 2019/10/12(土) 17:47:23.03 ID:21a68uxN0
怪我

【 外部記事 】

8: 2019/10/12(土) 17:49:58.39 ID:8IfJi7lY0
久保竜は史上最高のFWだと今でも思う
残してきた結果だけ見れば岡崎がずば抜けてるんだけど

10: 2019/10/12(土) 17:50:23.95 ID:Sfm87Utr0
塩職人として生まれて来たんでしょ


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Source: SAMURAI Footballers
「久保竜彦」を生かせなかった日本サッカーの現実

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