マジョルカでは久保建英 "が" ではなく "も" 生きない!?
2019年9月25日久保“が”ではなく“も”生きない、が実態
文 木村浩嗣
久保建英の印象は、プレシーズンの親善試合とリーガ開幕後で少し変わった。少し悪くなった。
プレシーズンは「ボールのもらい方が巧みで、ボールを失わない選手」という印象だった。トラップの瞬間に体の向きを変えボールを動かし、相手のプレスを巧みにかわす。チームメイトに安心感を与えられ、これからもパスをもらえるだろうと思った。スペインにおいてロストボールが少ない、というのは仲間の信頼を得るための絶対の条件だ。
ただ、リーガ本番になれば相手のプレスはより激しくなり、インテンシティが上がる。その中でどこまでできるだろう、と楽しみにしていたが、やはり思うように前を向けず、チャレンジできる体勢にボールを持って行けず、イージーで安全なパスを戻す姿が目立つようになった。ボールを失っていないのだから悪くはない。だが、前を向けない(あるいは半身になれない)ので得意の個人で崩すプレーに持っていけない。その前段階で寸断されている状態だ。
これは久保の問題であると同時に、チームの問題である。9月22日の第5節ヘタフェ戦で特に明らかになったように当たり合いで敗れ、出足で後れを取り、ことごとくセカンドボールを拾われる。もらい方が悪く、失い方が悪く、ポジショニングが悪い。ボールを失うのは、パスを出した方の問題かもらった方の問題のどちらかであるか、それとも両方だ。そして同じ問題が2人の選手間だけではなく、チーム全体で起きている。
ヘタフェは個人の技術のレベルが高いチームではなく、マジョルカは低いチームではない。だが、ヘタフェの方が格段に上手に見え、マジョルカの方が格段に下手に見えた。2部から上がったマジョルカも、リーガ初体験の久保もリーガのインテンシティの高さに戸惑っているようだ。この点で、久保と他のマジョルカの選手の間に違いはない。“ボールが持てないので久保が生きない”というのは正確な言い方ではない。“久保も含めてボールが持てないのでチームも久保も生きない”の方が実態に近い。アタッカーとはいえ、インターセプトや守備は全員の責任である。
久保は相手ゴール前4分の1のエリアでボールを持って前を向ければ決定的な仕事をする。半身になってシュートを撃つか、対角あるいは縦のドリブルで抜くか、と相手が対応に迷うような状況では、確実に違いを作り出せる。第4節アスレティック・ビルバオ戦でPKを誘った場面がそうだった。これが親善試合レベルだけではなく、リーガのレベルでもできることがわかったのは良かった。
それと、止まったボールを蹴った時のキックの精度。FK、CKとも回転、コースとも申し分ないボールが出て来る。ヘタフェ守備陣の油断があったとはいえ、あの初アシストとなったキックは見事だった。攻撃時のFKやCKでトリックプレーをする際には必要不可欠な存在になるだろう。これは間違いない。
動きながら出すスルーパスの方は、プレシーズンで驚かせたほどのものは開幕後は出せていない。これはすでに述べたように、決定的なエリアで前を向かせてもらえない、その前提としてポゼッションができないからである。
まぁ甘めの記事だよな
18歳だからしょうがないな
これは久保本人にかみしめて読んでほしい
久保だけじゃなくヨーロッパにいるすべての攻撃的選手にも読んでほしい
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Source: SAMURAI Footballers
マジョルカでは久保建英 "が" ではなく "も" 生きない!?