<コパ・アメリカ>日本敗退のA級戦犯は「上田綺世」メディアも現実を直視せよ
2019年6月30日コパ・アメリカでの上田綺世(20)を誰もが庇っている。例えば、フットボールチャンネルは公式サイトに「上田綺世が味わった『無力感』。外し続けた決定機…南米との対峙で得た唯一無二の感覚【コパ・アメリカ】」(6月27日)の記事をアップした。
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記事の内容は、冒頭の一文を読めば分かる。「自分をさらに大きくする、一番大きいチャンスがきた」という上田の述懐から始まっている。
フットボールチャンネルは、上田がコパ・アメリカで手も足も出なかったことを認めながらも、素晴らしい経験を得たと総括する。これを糧に、今後は一回りも二回りも大きな選手として成長し、日本代表に選ばれてほしい――
こんなことが書いてあるわけだが、噴飯物と言わざるを得ない。
上田は戦犯中の戦犯ではなかったのか。例えば初戦のチリ戦、上田はスタメン出場した。そのプレーをご記憶の方も多いだろう。
1点を先制された前半44分、柴崎岳(27)のスルーパスを巧トラップで抜け出したまではよかった。だがGKを外しながらのシュートは右サイドネットの外だった。
0-2とされた後半12分には柴崎のアーリークロスにペナルティーエリア内左で完全なフリーだったにもかかわらず、ボレーシュートは左に外した。
後半24分、安部裕葵(20)の左クロスに飛び込んだ場面ではボールに触れることができなかった。後半28分には久保建英(18)のパスにGKと1対1になりながらシュートは右手でストップされた。
チリ戦は0-4の大差となったが、上田が4度の決定機のうちどれか1つでも決めていれば試合の流れが変わった可能性は高い。上田は日本代表の決定力不足――――常に指摘されていることだが――――を象徴している。
2戦目のウルグアイ戦は2-2の同点となり、最終戦のエクアドル戦で上田は後半から途中出場を果たした。
後半23分の久保のスルーパスに上手く抜け出しながらシュートはブロックされ、後半24分のGKと1対1でのチャンスもループシュートはクロスバーを越えた。
さらに後半45分、前田大然(21)のシュートのこぼれ球にフリーとなって狙った一撃もゴール枠を捕らえられなかった。
もし最終戦のエクアドル戦に勝利していればベスト8に進出し、地元ブラジルと対戦するはずだった。
日本は勝ち点2をあげ3位だった。パラグアイと並んだことは評価に値する。とはいえベスト8への進出を得失点差で阻まれたことを、日本人はもっと悔しがるべきだろう。
チリ戦の失点が響いたことは言うまでもない。日本代表の得失点差はマイナス4だったが、パラグアイはマイナス1。こうして日本はグループリーグの敗退が決まったのだ。
ベスト8に進出できた可能性が存在したにもかかわらず、現実は敗退に終わった。だからこそ上田の責任は追及されるべきなのだが、その前に森保ジャパンに対する評価を振り返っておこう。
試合後のインターネットや26日のスポーツ紙などの報道は、とても日本代表に対して好意的だった。
勝機のあったエクアドル戦を引き分けてしまったにもかかわらず、日本のスポーツメディアは地元メディアやスペイン紙の電子版を引用しつつ、特に久保建英を絶賛することでお茶を濁してしまう。
確かに日本人は、外国人からどう見られているかを気にする傾向が強い。褒められればうれしいし、批判的な意見にも素直に耳を傾ける。
久保が絶賛されたのは18歳という若さが前提にあり、善戦したのはチームの主力が23歳以下というBチームだったからだろう。だからメディアは“暖かい目”で試合を振り返り、“同情的”な記事を書いた。
彼らにすれば森保ジャパンは“高校生との練習試合”に等しいのだ。
我々日本人に、そんな配慮は必要ない。今大会の成績は「不甲斐ないものだ」と堂々と書くことからサッカージャーナリズムは始まる。選手が若いからと好意的に報じるのは疑問だ。
日本代表が「できたこと」と「できないこと」をしっかりと直視し、検証すべきではないだろうか。
6/30(日) 6:02配信 ディリー新潮
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190630-00568993-shincho-socc
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Source: samuraigoal
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