【競馬】ダンスインザダークの生涯が壮絶すぎて競馬民号泣必至!!
5月 30, 2020Dance In The Dark
香港表記 夜舞
毛色 鹿毛
生誕 1993年6月5日
死没2020年1月2日(27歳没)
父サンデーサイレンス
母ダンシングキイ
母の父Nijinsky II
生国 日本(北海道千歳市)
生産 社台ファーム千歳
馬主(有)社台レースホース
調教師橋口弘次郎(栗東)
厩務員池平勉
競走成績
8戦5勝
獲得賞金
3億7955万1000円
勝ち鞍
GI 菊花賞 1996年
GII 弥生賞 1996年
GII 京都新聞杯 1996年
この緊急事態宣言中、仕事も忘れ、資料を読みふけった
暗闇に生き、暗闇に消えていったある一頭の馬の物語
私は心が踊った
現役戦績とは裏腹に彼は種牡馬戦線で活躍を見せた
菊花賞父仔制覇を達成したザッツザプレンティ・デルタブルース・スリーロールス、2004年の安田記念を制したツルマルボーイと4頭のGI級競走優勝馬を輩出している
当事者たちの声、今ここに残そうと思う
父は後に13年連続のリーディングサイアーとなるサンデーサイレンス、母はアメリカから輸入されたダンシングキイ。
6月と遅生まれであったが、管理調教師となる橋口弘次郎によれば、当歳秋の時点で馬体に「大物感」があり、クラシックを狙える馬と感じたという
競走年齢の3歳を迎えた1995年には全姉ダンスパートナーが優駿牝馬(オークス)に優勝、半兄エアダブリンも活躍を見せており、血統面でも大きな注目を集める存在となった
同年夏には社台ファームで武豊が騎乗、その動きに強い印象を受けた武は、関西に戻ったのち直ちに橋口の元へ赴き、自ら主戦騎手に立候補した
12月3日の阪神競馬第4競走で初戦を迎えた
レースは後方待機から、直線で終始内側に斜行を続けながらも先行馬を差し切って勝利を挙げた
続いて、デビュー前から予定していたラジオたんぱ杯3歳ステークスに向かう
本競走には、同じく武が騎乗して新馬戦を勝ったサンデーサイレンス産駒・ロイヤルタッチも出走していたが、武は本馬を選択した
当日はやはりサンデーサイレンス産駒のイシノサンデーに次ぐ2番人気に支持された
しかし最後の直線でロイヤルタッチ、イシノサンデーに突き放され、両馬から3馬身半差の3着に終わった
春
翌年4歳初戦は、クラシックに向けてきさらぎ賞から始動
再戦したロイヤルタッチと競り合い、クビ差の2着となる
次走・弥生賞(皐月賞トライアル)ではイシノサンデーを3着に退けて快勝
橋口によれば「遅生まれの分、成長が遅かった」が、この勝利で「きさらぎ賞で対戦した有力馬には負けないという確信を得た」と語っている
続いてはクラシック初戦・皐月賞へ臨む予定であったが、競走6日前に熱発(発熱)が判明し、回避を余儀なくされた
これを受けて、目標とした東京優駿へは直行というプランもあったが、状態の回復が早く、トライアル競走のプリンシパルステークスに出走
2着に2馬身差を付けて快勝し、6月2日、東京優駿を迎えた
レースでは2-4番手を追走、直線で先頭に立つと後続馬を突き放した
しかし後方から追い込んだフサイチコンコルド(7番人気)にゴール前で一気に交わされ、クビ差の2着に敗れた
武は交わされた瞬間「えっ、嘘だろう」と思ったといい、橋口は「頭の中が真っ白ですよ。あのとき周囲に人がいなかったら、その場にへたりこんでいたでしょうね」と回顧している
フサイチコンコルドはここまで2戦2勝
プリンシパルステークスにも出走予定があったが、熱発で回避していた
橋口は「僕はずっと前からあの馬(フサイチコンコルド)は強いと言い続けていましたから、プリンシパルステークスに出てきていれば、当然マークした所なんですけどね」と悔いた
競走前、陣営はイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへの出走計画を立てていたが、この敗戦により中止となり、ダンスインザダークは休養に入った。
夏は社台ファームで休養に充てた後、9月に帰厩
翌月の京都新聞杯から始動し、ロイヤルタッチ、イシノサンデー等を退けて勝利を収めた
11月3日にクラシック最終戦・菊花賞を迎える
当日は本馬が1番人気、復帰緒戦で敗れていたフサイチコンコルドが2番人気となった
ダンスインザダークは中団からレースを進めたが、周回2周目の第3コーナーから最終コーナーにかけて、
失速してきた先行馬に進路を塞がれ、直線では後方12番手という位置取りとなった
しかも直線入口では、最内で前が詰まった状態
しかし武は馬群を避けて徐々に外に持ち出すと、最後は先頭を行ったロイヤルタッチを一気に交わし、1着で入線
春の雪辱を果たす形でクラシック最後の一冠を制した
推定上がり3ハロンは33秒8という、長距離競走としては破格のタイムであった
橋口は進路を失って下がった瞬間を「これは駄目だ、掲示板もないかと思いました」と述懐し、「武騎手でなければ勝てていません。別の騎手なら3着だったでしょうね」と、直線での武の手綱捌きを賞賛した
菊花賞の翌日、屈腱炎を発症している事が判明
そのまま引退が決定した
当年の年度表彰では、フサイチコンコルド、4歳馬として戦後初めて天皇賞(秋)を制したバブルガムフェローを抑え、最優秀4歳牡馬に選出された
バブルガムフェローとは同郷であり、武が最初にダンスインザダークに跨った時から、生産者の吉田照哉に「関東に1頭凄いのがいる」と聞かされていたというが
春に故障休養していたこともあり、対戦のないまま終わった
2004年の全日本種牡馬リーディング2位、2006-07年オセアニア種牡馬リーディング4位の実績を残し、サンデーサイレンスの後継種牡馬の1頭となっている
しかしツルマルボーイが4シーズンで種牡馬としての供用を打ち切られ、
ザッツザプレンティはシーズン3年目の種付け頭数が5頭となり、その後の2010年に種牡馬引退、
デルタブルースは引退後乗馬になるなど、ダンスインザダーク自身は有力な後継種牡馬を出せていない
なおダンスインザダーク産駒では、他にダイタクバートラム、タガノマイバッハらが種牡馬入りしている
2011年10月にブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動、2012年からは同ステーションで種牡馬を続行する
2014年12月、社台スタリオンステーションに移動し2015年からは同ステーションで種牡馬生活を続行する
2017年1月、種牡馬を引退した
2020年1月2日、老衰による起立不能により死亡(27歳没)
後5年遅ければ徹底的に米短距離ダート馬つけて中距離馬作れたのに
フジキセキには最後までエース級回ってこなかった
ツルマルボーイ(安田記念、金鯱賞、中京記念)
2000年産
ザッツザプレンティ(菊花賞、ラジオたんぱ杯2歳ステークス)
2001年産
デルタブルース(メルボルンカップ、菊花賞、ステイヤーズステークス)
2006年産
スリーロールス(菊花賞)
グレード制重賞優勝馬
1998年産
ダイタクバートラム(阪神大賞典、ステイヤーズステークス、北九州記念)
オイワケヒカリ(フローラステークス)
1999年産
タガノマイバッハ(大阪杯、中京記念)
ファストタテヤマ(京都新聞杯、デイリー杯2歳ステークス)
インタータイヨウ(兵庫チャンピオンシップ)
アズマビヨンド(阪神ジャンプステークス)
ウイングランツ(ダイヤモンドステークス)
マッキーマックス(ダイヤモンドステークス)
マルブツトップ(佐賀記念)
2001年産
ジョリーダンス(阪神牝馬ステークス 2回)
ダンスアジョイ(小倉記念)
フミノトキメキ(小倉サマージャンプ)
2002年産
チョウサン(毎日王冠)
ダンスインザモア(スプリングステークス、福島記念)
コンラッド(ラジオたんぱ賞)
2003年産
トーホウアラン(京都大賞典、京都新聞杯、中日新聞杯)
2004年産
マルカフェニックス(阪神カップ、スワンステークス)
ザレマ(京成杯オータムハンデキャップ)
ニジンスキーの最高傑作ラムタラの無残な失敗見ればダンスインザダークの失敗も当然だった
ムードインディゴ(府中牝馬ステークス)
2006年産
フォゲッタブル(ステイヤーズステークス、ダイヤモンドステークス)
ダノンヨーヨー(富士ステークス)
ストロングガルーダ(ラジオNIKKEI賞)
ヴィーヴァヴォドカ(フラワーカップ)
タッチミーノット(中山金杯)
2007年産
ダークシャドウ(毎日王冠、エプソムカップ)
2009年産
クラレント(デイリー杯2歳ステークス、富士ステークス、東京新聞杯、エプソムカップ、関屋記念、京成杯オータムハンデキャップ)
同じサンデーサイレンス産駒のスペシャルウィークで東京優駿を制し、
念願のダービージョッキーとなった
武によれば両馬は「体型も乗り味も全体の雰囲気も」非常によく似ていたといい、初めてスペシャルウィークに乗った際の印象として
「牧場で初めてダンスインザダークに乗った時のことを思い出しました」と述べている
また、同馬を管理した白井寿昭は、自身が管理したダンスインザダークの姉・ダンスパートナーに似た印象を持ったとしている
スペシャルウィークの母の父・マルゼンスキーは母の父であるニジンスキーの仔であり、血統構成も似ている
種牡馬成績では、ダンスインザダーク産駒はステイヤーが比較的多いのに対し、
スペシャルウィーク産駒は中距離で活躍する産駒が多い
フジキセキはまだようやっとるな
ニジンスキー自体が失敗種牡馬なんだよ
フサイチコンコルドは体質が弱く、日本ダービーへの輸送も夜にした。定年間近の小林稔調教師に運も向いた。
直前取材では自信があると。
この馬で日本ダービーを勝つ!しかしながら皐月賞前に痛恨のアクシデント。
日本ダービーでは直線に入り何馬身引き離すのかと見ていると、あの馬が近づいてきた。
すみれSのレース後に「強い馬ですね」と、小林稔師を祝福したあの馬に。一時は警戒していた馬だった。
レース終了後、定年まで頑張るわ!橋口師は知り合いにそう言い残して府中を後にした。頭の中は真っ白だった。
あの馬を超える馬などいなかった。日本ダービーは獲れると思っていた。菊花賞優勝後も夢を見ていた。ダンスインザダークは入厩した時から引退するまで、引退後も橋口師の中では最強馬である。
どっから飛んできたのかまったく分からなかった
ダンスインザダーク産駒では1番瞬発力があった馬がダークシャドウだから現代日本競馬では明らかに瞬発力が足りない
Source: オルフェンズの仔~~競馬ネタ予想まとめ
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